長城ワイン販売事業 (COFCO国際酒業 日本代理店)   中国国宴指定

COFCO集団(中糧集団)は中国最大の国営食品企業です。傘下に9大事業部あり、上場企業を7社持つグループ企業です。

悠久の時を超え、歴史を残す雄大な大地を望む

広大な国土と五千年の歴史を誇る中国には、万里の長城をはじめとして世界遺産に登録されている景勝地がたくさんあります。

世界の人々を魅了する、そして大切な方へどうぞ。

中国ワインの歴史

フランスよりも約300年歴史が古い中国ワイン

  中国に於ける歴史に記載されている資料によると、中国では前漢(紀元前206~紀元後8年)の時代、既にブドウの栽培とワインの醸造の記述が多数あります。また、シルクロードで出土した資料や食器等に多くワイン関係の発掘品あります。 

中国ワインの源

  紀元前138年、中国の歴史上有名な外交家である張騫は漢の武帝の旨を奉じて長安から西域(西アジア、ヨッロ-バン地方)に使節として十年間渡航しました。その途中で張騫は西アジアに原始のワインを見つました。中国に戻る時、葡萄の種と共にワインの醸造技術を持ち帰りました。そして、漢の武帝が飲んだところ美味く、体にも良いので、漢の武帝はワインを造る旨を出しました。そして最適な場所として選ばれたシルクロードに葡萄を植え、ワインを造が始まりました。そこで造れたワインは、皇帝に奉じる御品になりました。その地域は、ワイン醸造が主な農作業になり、盛んになりました。(「中国歴史Ⅰ」、歴史編集室)

  また、中国の有名な歴史家司馬遷の著書『史記』には中国の初めてのワインに関する文章が記載されています。

ワインの隆盛

  前漢から後漢にかけて、ワインは皇帝や貴族の独享なものであった。特に唐(581~907年)の時代と元(1271~1368年)の時代には、ワインの醸造は農産物としてトップに達しております。当時、全国に葡萄園があり、ワイン工場も数百ありました。

ワインの衰退

  歴史上最も盛んでいた唯一の国際文明友好往来の交流地、並びに商人の経済流通路であるシルクロード地帯は、世界史上でも最も戦争多い地域でした。戦乱で、住民は、生活できず、商人は、商いできず、倒産したり、移転したり、農民は、農地を捨てて逃げてしまった。その後、農民がいなくなった農地は、荒れほうだいとなり、砂漠化してしまった。

  中国のワイン醸造は、明(1636)の時代まで盛んであった。清(1638~1912年)の時代の半ばごろから世界の戦争に巻き込まれ、ワインの醸造なども少なくなった。さらに、清の時代の後半は国家の弱体化のため、中国経済の荒廃が起こり、特にワインを醸造する工場、メーカーへの多大な影響があった。ワインの醸造は全く消えてしまった。

長城ワインについて

  40年余り前、「国宴」つまり、政府が国賓を招待して行う宴会のメニューに国産ワインの名はなかった。ニクソン米大統領が訪中した際、「中国は素晴らしいが、ファッショナブルな女性とワインが足りない」とジョークを言い、周恩来総理に中国自らのワインづくりを決意させた。そして長城桑干ワイナリーがこの使命を負って1979年に誕生したのだった。その年、同社は中国で初めて国際基準の技術で白ワインを生産し中国におけるワイナリーの歴史を開いた。  

  2008年、長城葡萄酒有限公司は北京オリンピックの単独サプライヤーとなり、「超越2008」と名付けられた限定収蔵版ワインはスイス・ローザンヌ博物館に永久収蔵された。2010年には上海万博唯一の公認ワインとなり、また広州アジア大会の「国宴」で来客をもてなす酒となった。長城ワインは、こうして中国発展の歴史を見届けながら、中国の実力をワイングラスの中に投影し続けている。